宗清寺_(中野区)とは? わかりやすく解説

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宗清寺 (中野区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 16:15 UTC 版)

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宗清寺

所在地 東京都中野区上高田1-27-6
位置 北緯35度42分31秒 東経139度40分38秒 / 北緯35.70853度 東経139.67736度 / 35.70853; 139.67736座標: 北緯35度42分31秒 東経139度40分38秒 / 北緯35.70853度 東経139.67736度 / 35.70853; 139.67736
山号 松雲山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 元和年間(1615年1624年
別称 なが寺
法人番号 4011205000276
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宗清寺(そうせいじ)は、東京都中野区にある曹洞宗寺院

概要

元和年間(1615年1624年)に開山された。元々は現在の東京都港区三田に位置していた。1907年明治40年)、東京府東京市牛込区原町(現・東京都新宿区原町)にあった「松雲寺」と牛込区喜久井町(現・新宿区喜久井町)にあった「浄泉寺」が合併し、「松雲寺」と改称して現在地に移転した。遅れて1913年大正2年)に当寺が移転・合併し、「宗清寺」に改称した[1]

白翁大黒天

当寺には「白翁大黒天」と呼ばれる大黒天像がある。この像は日蓮の作とされ、鎌倉の建長寺にあったものだが、火事に遭った際に近江国伊香郡に飛び、後に福岡藩藩主となる黒田氏の手に渡り、黒田長政の代になって当寺に奉納されたものである。当寺の別名の「なが寺」は「長政(ながまさ)の」の意といわれている[1]

墓所

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 中野区史跡研究会 編『中野区史跡散歩 (東京史跡ガイド14)』学生社、1992年、89-90p

参考文献

  • 中野区史跡研究会 編『中野区史跡散歩 (東京史跡ガイド14)』学生社、1992年



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