安龍福証言における「于山島」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)
「于山島」の記事における「安龍福証言における「于山島」」の解説
これまでの文献や地図を見ると于山島が松島(現在の竹島)でない事は間違いないが、朝鮮国慶尚道東莱県に住む漁夫安龍福は于山島を日本人の呼ぶ松島だと言っている。彼は二度日本に来た記録があるが、彼の言動を総合すると松島に行った可能性は非常に少ない。彼は日本への二回目の渡航時、鬱陵島から隠岐への通過点である松島を見たかもしれないが、この松島は彼の想像する于山島ではなく接岸することも難しい小さな島である。彼は鬱陵島は何度も訪れているが、『朝鮮八道古今総覧図』に描かれている架空の大きな島の于山島が見当たらず、日本人の呼ぶ松島をこの于山島だと信じていたようである。というのも、日本での村上家記録や朝鮮へ帰国したときの粛宗実録の記録には「于山島」ではなく「子山島」と記されているが、このように言っているのは安龍福だけで、地図を見て地図に書かれた文字を読み違えていることが窺えるからである。彼は于山島を鬱陵島より北東に約20km、船で約1日で行ける居住可能な大きな島で「日本人が魚膏(アシカの油)を煮炊きしている(子山島倭等方列釜煮魚膏)」と述べている。
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