安龍福の于山島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 13:52 UTC 版)
当時の朝鮮政府は鬱陵島に空島政策を取っていたので、安龍福は鬱陵島周辺の地理的知識がほとんどなかったはずだが、鬱陵島に何度も訪れているようであり、日本には二度訪れている記録がある。しかし彼の証言を総合すると、当時の朝鮮の地図にある架空の大きな島 于山島が見当たらず、日本人の呼ぶ松島が于山島だと信じていたようである。彼は于山島が鬱陵島より北東に約20km、船で約1日で行ける居住可能な大きな島としており日本人の言う松島ではない。安龍福が日本へ朝鮮の領有を直訴しに来た大きな理由は、豊富な鮑やワカメが大量に採集できる漁場とそのための居住ができる大きな島を独占したかったからではないかとされる。彼が現在の竹島のような島のために危険を冒してまで日本へ直訴しに来たと考えるのは不自然であり、于山島が松島であるという証言は不法渡航の罪を免れるための虚言である可能性が高い。
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