安里小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:21 UTC 版)
既に明治13年に上間において真和志小学校が開校していたが、就学児童が増えたこと、真和志北部からの通学はあまりにも不便であったことを考慮し、1910年(明治43年)、新たに真和志第二小学校、のちの安里小学校が設けられた。開校当時の児童数は243名程度。1916年(大正5年)には高等科を併設し、安里尋常小学校と名を改める。その後、1934年(昭和9年)に安里小学校から大道小学校が分離、この際安里小学校に割り当てられた学区が銘苅、天久など北方となったため、それに合わせ1940年(昭和15年)、白山森の後方へ新築移転の運びとなった。移転当時の生徒数は700名であった。現在その跡地は、1946年、摩文仁村の米軍キャンプ収容時代に創立した安謝小学校の敷地となっているが、参考リンクの「安里・安謝小学校創立100周年 安謝幼稚園創立62周年記念事業」によれば、安里小学校が移転後、沖縄戦と戦後の混乱を経て、安謝小学校と改名し、歴史を受け継いでいるとの解釈となっている。
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