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安達十九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 05:00 UTC 版)

安達 十九
生誕 1886年8月1日
東京府
死没 1951年7月20日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905 - 1938
最終階級 中将
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安達 十九(あだち じゅうく、1886年(明治19年)8月1日 - 1951年(昭和26年)7月20日)は、日本の陸軍軍人陸軍科学研究所第二部長を務め、階級は陸軍中将に至る。陸軍教授安達松太郎の子で、兄に安達十六陸軍少将、弟に第18軍司令官安達二十三陸軍中将が、義理の叔父に陸軍大臣石本新六陸軍中将男爵がいる。石本寅三陸軍中将・石本五雄陸軍少将は従兄弟。

経歴

東京に生まれ陸軍士官学校に学ぶ。1905年(明治38年)11月25日卒業し、1906年(明治39年)6月26日陸軍工兵少尉に任官される。士官候補生第18期の安達の同期には山下奉文大将岡部直三郎大将・藤江恵輔大将・阿南惟幾大将・山脇正隆大将らがいる。

士官学校を卒業した安達は陸軍砲工学校に進み、高等科を卒業する。階級は中尉であったこの時に陸軍派遣員外学生に選抜され、東京帝国大学理学部応用化学学科で3年間学び1915年(大正4年)7月卒業資格を得る。

以後工兵将校として累進し、1930年(昭和5年)8月1日陸軍科学研究所員を命ぜられる。1933年(昭和8年)4月15日から陸軍技術本部員を兼ね、1935年(昭和10年)3月15日陸軍少将に進級し、同年8月1日科学研究所第二部長に就任する。1938年(昭和13年)3月1日陸軍中将進級と共に待命となり、同3月25日予備役編入となる。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。



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