安田銕之助とは? わかりやすく解説

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安田銕之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 08:41 UTC 版)

安田 銕之助(やすだ てつのすけ、明治22年〈1899年〉12月24日 - 昭和24年〈1949年〉3月19日)は、大正から昭和にかけての軍人、国家主義者 [1]

息子は歴史学者安田元久[2]

生涯

明治22年(1899年)12月24日、熊本県で生まれた[1]。明治43年(1910年)に陸軍士官学校第22期として卒業し、大正7年(1918年)、陸軍大学校を卒業した[1]

大正8年(1919年)には陸軍参謀本部に勤務を開始し、大正12年(1923年)に大使館付武官補佐官となった[1]。大正13年(1924年)から昭和2年(1927年)にかけて東久邇宮稔彦付武官としてヨーロッパに駐在した[1]

昭和4年(1929年)、中佐となり、昭和5年(1930年)に予備役へ編入となった[1]。以後は東久邇宮稔彦の私設秘書役となり、天野辰夫らと交遊した[1]

昭和6年(1931年)の満州事変後は、満洲国建国に参画した[1]。天野辰夫に誘われ共に神兵隊事件を計画したが、昭和8年(1933年)7月11日に発覚[1]。検挙され、禁錮4年の判決を受けた[1]。同年9月から昭和10年(1935年)まで未決拘留され、昭和16年(1941年)3月に刑を免除された[3]

昭和14年(1939年)、勤皇まことむすびを結成し、日独伊三国同盟要請全国青年連盟の相談役となった[1]

昭和24年(1949年)3月19日に死去[1]。享年61 [1]

脚注




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