安楽寿院と鳥羽離宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:45 UTC 版)
安楽寿院は京都市南郊の伏見区竹田に位置する。付近一帯は平安時代末期(11~12世紀)、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地であり、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身である。鳥羽離宮(鳥羽殿とも言う)は、応徳3年(1086年)、時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものであった。平安京の南に位置する鳥羽の地は桂川と鴨川の合流点にあたり、交通の要衝であるとともに風光明媚な土地でもあった。現在の近鉄竹田駅、名神高速道路京都南インターチェンジ付近が離宮の跡地で、東西約1.2~1.5 km、南北約1kmの範囲に御所、庭園、仏堂などが営まれた。最初に営まれた御所は後に南殿と称され、その後、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが相次いで建設され、白河・鳥羽・後白河の3代の院政の舞台となった。 鳥羽離宮の各御所には白河上皇および鳥羽上皇によって仏堂が営まれた。最初に造営された南殿に付属した仏堂は証金剛院と呼ばれ、以下、北殿には勝光明院、泉殿には成菩提院、東殿には安楽寿院、田中殿には金剛心院が造営された。鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみが(建物は近世以降の再建であるが)、21世紀の今日まで法灯を伝えている。
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