孟子との対話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 05:24 UTC 版)
恵王は孟子との対話でも知られている。書物『孟子』劈頭の章句も恵王との対話であり、最初の2篇は「梁恵王篇」と呼ばれている。 ある時、恵王は孟子を招いて「私は洪水が起きた時はその地の民を移住させ、飢饉の時は食糧を与えるなど心を尽くした政治をしている。これほどまでに徳を施しているのに、どうして我が国の人口は増えず、他国の人口は減らないのか」と訊ねた。孟子は「王は戦争がお好きですので戦争で喩えさせてください」と暗に皮肉を込めた上で、戦場から百歩逃げた兵士を五十歩逃げた兵士が笑ったらどう思うか?という喩え話をし、これが世に言われる「五十歩百歩」の故事成句となった。 恵王の時代の魏は、韓・趙・斉・秦の四カ国を敵に回した事で戦争が増え、相次ぐ動員によって民は疲弊していた。韓と趙は恵王が即位する以前から抗争状態にあったが、斉や秦とも敵対したのは恵王の野心が招いた失策とも言えた。孟子は恵王の好戦的性格を戒め、それを改めない限りどんなに小手先の徳を施しても無駄である事を暗に諭したのだった。
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