存続の動きと解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 14:28 UTC 版)
経営の委譲も検討されたが、維持管理コストが問題となって引き受け先が見つからなかった。市民や調理師会からは存続を望む声が上がり、歴史的資産の保存の在り方が問う意見も寄せられた。閉鎖後も建物の歴史的価値を評価し、活用する望む声があり、「大清水多賀本店保存推進協議会」が結成され保存運動も実施された。盛岡市も保存活用を検討してもらうよう、大清水多賀と大和ハウス工業に申し入れたが、話し合いの場は設けられず、2013年9月2日より建物の解体が開始された。庭園も更地とされ、高層マンションが建設される。庭木の一部や灯篭、石橋、柱の一部、什器数十点は盛岡市が譲り受けた。庭木は公園などに移植され、什器は町家に展示する予定とされた。 その後、名店の味を残していきたいという思いから、元料理長が地元飲食店経営者と盛岡市大通りに(割烹酒場TAGA)を開店している。
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