子育て呑龍とは? わかりやすく解説

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子育て呑竜

読み方:コソダテドンリュウ(kosodatedonryuu)

正称 大光院

宗派 浄土宗

所在 群馬県太田市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

呑竜

(子育て呑龍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 10:20 UTC 版)

呑竜(どんりゅう、弘治2年4月25日1556年6月2日[1] - 元和9年8月9日1623年9月3日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての浄土宗。字は故信、源蓮社然誉。武蔵国埼玉郡一ノ割村[2]の生まれ。

概要

岩槻城太田資正の家臣・井上信貞の子[1]。14歳の時に故郷の林西寺の岌弁(きゅうべん)に師事して出家し、その後江戸増上寺で修学した。やがて、武蔵国多摩郡八王子にある大善寺(浄土宗関東十八檀林の1つ)の3世となり浄土宗檀林(浄土宗僧侶の養成所)の基礎固めを行った。1613年慶長18年)徳川家康の命により上野国太田に大光院が建立され、呑竜はその開山となった。1616年(元和2年)、孝心のため国禁を犯した子をかくまい幕府から譴責されたが、5年後の1621年(元和7年)に赦免された。このことから、子育て呑竜の異名で呼ばれるようになった。

脚注

  1. ^ a b 『上毛大観』歴史図書社、p.239。
  2. ^ 「大光院と呑龍上人」 - 太田市ホームページ

関連項目

外部リンク


子育て呑龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 18:49 UTC 版)

大光院 (太田市)」の記事における「子育て呑龍」の解説

呑龍当時多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。「上毛かるた」では、「お」のに「太田金山 子育て呑龍」として採録されている。

※この「子育て呑龍」の解説は、「大光院 (太田市)」の解説の一部です。
「子育て呑龍」を含む「大光院 (太田市)」の記事については、「大光院 (太田市)」の概要を参照ください。

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