威海衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 22:02 UTC 版)
「大日本帝国海軍の歴史」の記事における「威海衛」の解説
詳細は「威海衛の戦い」を参照 黄海海戦に敗北した北洋艦隊は威海衛に立て篭もったため、陸海共同での攻略作戦がとられた。伊東司令長官は、陸軍が威海衛を攻撃すれば北洋艦隊は脱出を試みると予測し、連合艦隊を威海衛沖に待機させた。1895年1月30日に威海衛東岸の砲台は占領されたが、北洋艦隊は港内に留まり、艦砲射撃で陸軍を攻撃した。このため、水雷艇による夜襲が行われることとなった。港内の敵艦を水雷艇で攻撃するという作戦は史上初のことであり、イギリス、アメリカ、フランス、ロシアが観戦艦艇を派遣した。2月5日未明、威海衛湾内へ日本海軍の水雷艇10隻が侵入、魚雷を発射できたのは4隻のみであったが旗艦定遠を大破させ(10日に自沈)、翌日には5隻が突入し来遠、練習艦威遠等3隻を撃沈した。9日には陸上からの砲撃により靖遠が爆沈、12日に丁汝昌は自決、北洋艦隊は降伏した。
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