妻木頼矩とは? わかりやすく解説

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妻木頼矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 23:07 UTC 版)

 
妻木 頼矩
時代 江戸時代末期
生誕 1825年文政8年11月
死没 1891年明治24年)1月12日
別名 通称︰伝蔵→多宮
号:棲碧[注釈 1]、向休
幕府 江戸幕府
氏族 妻木氏
父母 父︰妻木頼秀
兄弟 頼矩
頼辰
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妻木 頼矩(つまぎ よりのり)は、江戸時代末期の旗本。常陸妻木氏8代当主で、石高は500石。

経歴

甲府学問所学頭、目付大目付等を歴任し、慶応4年(1868年)1月9日、徳川慶喜大坂城を退去したのちの引渡し役を務めた。尾張藩越前藩の立会いの上徳山藩岩国藩兵に引渡したが、本丸御殿台所より火の手が上がり城は全焼してしまった。明治2年(1869年静岡藩権大参事となった。廃藩置県後は横浜毎日新聞初代主筆を務めた後に文部省宮内省と歴任した後、帝室博物館日本美術の調査にあたった。明治24年、67歳で没した。

脚注

注釈

  1. ^ 「せいへき」と読む。

出典

参考文献

  • 日本人名大辞典(講談社)

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