奉軍強化に貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/06 13:40 UTC 版)
同年、奉天派の楊宇霆の推薦により、韓麟春は張作霖の下で東三省兵工廠督弁に任命された。韓麟春は、日本・ドイツなどから技師を招聘し、設備を購入するなど、兵器製造・管理に辣腕を振るう。これにより、東三省兵工廠を当時の中国で最高水準の軍事工場となさしめた。さらに、東三省陸軍整理処が設置されると、孫烈臣が統監、姜登選と韓が副統監に任命された。吉林督軍を兼任する孫は整理処の事務に常時携われなかったため、姜と韓が実権を握る形となる。2人は、奉直戦争で敗北した奉天派の再建、精鋭化に取り組んだ。 1924年(民国13年)9月、第2次奉直戦争が勃発すると、姜登選と韓麟春はそれぞれ第1軍の正副軍長に任命され、奉天派は勝利を収めた。しかしこの時、作戦と軍官人事を巡って、姜と韓は同僚の郭松齢と激しく対立している。1925年(民国14年)11月、郭が張作霖に対して兵変を起こすと、姜は郭に捕えられ銃殺された。一方の韓は、病により一時職を離れていたため難を逃れた。郭の兵変が鎮圧された後、韓は第4方面軍軍団長に任命され、第3方面軍軍団長の張学良と連合軍団を結成する。
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