奄美伝説時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:00 UTC 版)
14世紀頃から奄美大島の系譜上で語られる伝説時代に入る。笠利町誌によると、琉球の舜天王統3代義本の子孫である奄美大王(奄美大主、奄美大守)が大島に君臨していたと言う伝承、義本王伝説がある。 大島の芝家伝承によれば、義本は退位後に「阿麻弥(あまみ)島」に渡り、義本の子・継好(つぐよし)が奄美大守を称し、芝家を興したとされる。奄美大王は辺留城(ベルグスク)を拠点にしたとも伝わるが定かではない。このほか喜界島にも義本王(ジブンシュー)伝説がある。徳之島にも義本の子孫が匿われた伝承がある。 琉球の『中山世譜』など史書では、後述の第二尚氏尚円王の父・尚稷も、義本の末裔であるとされているが、これら奄美地方の伝承と尚稷や、各地の在地按司勢力との具体的な関係は未だ明らかではない。 また、15世紀以前の奄美群島の直接の文献記録は発見されていないため、琉球や日本含め周辺の文献から辿る必要があるがそれも乏しい。考古学上、14世紀頃から次代の琉球の影響を受ける頃までの期間の重要な遺跡として喜界島の城久遺跡群、手久津久遺跡群がある。 按司が登場してからを「按司世(あじんゆ)」とも呼ぶこともあるが、この時代までを「奄美世(あまんゆ)」と呼ぶこともある。
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