太田古屋村とは? わかりやすく解説

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太田古屋村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 20:52 UTC 版)

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おおたごやむら
太田古屋村
廃止日 1901年11月1日
廃止理由 新設合併
葛塚村太田古屋村嘉山村(一部) → 葛塚町
現在の自治体 新潟市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方信越地方
北信越地方上信越地方
広域関東圏
都道府県 新潟県
北蒲原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 蓮野村佐々木村鳥興野村、嘉山村、葛塚村、藤井村
太田古屋村役場
所在地 新潟県北蒲原郡太田古屋村大字太田古屋[1]字下黒山[2]
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太田古屋村(おおたごやむら)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった1901年11月1日合併によって消滅し、現在は新潟市北区の太田・村新田の全域および朝日町・かぶとやまの一部となっている。

以下の記述は合併直前当時の旧太田古屋村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。

沿革

地域

太田古屋村は、合併した村名を継承する以下の大字で構成される。

太田古屋村(おおたごや)
1889年(明治22年)まであった太田古屋村の区域。現在の新潟市北区太田(下黒山・椋・法花鳥屋)および朝日町[5]・かぶとやま[6][7]の一部。
太田上古屋村(おおたかみごや)
1889年(明治22年)まであった太田上古屋村の区域。現在の新潟市北区太田
則清村新田(のりきよむらしんでん)
1890年(明治23年)まで佐々木村の大字だった則清村新田の区域。現在の新潟市北区村新田。

行政

歴代村長

脚注

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注釈

出典

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
  • 『新潟県市町村区域及改称市町村名一覧表』関井常弥、1889年3月25日。
  • 『明治廿三年六月刊行 新潟県市町村名全書』桜井書店、1890年6月18日。
  • 『明治廿五年十二月再版 新潟県市町村名全書』桜井書店、1892年12月20日。
  • 『新潟県下市町村吏姓名録』藤田孝治郎、1889年12月11日。
  • 『職員録. 明治28年(乙)』内閣官報局、1895年12月20日。
  • 『職員録. 明治29年(乙)』内閣官報局、1897年1月9日。
  • 『職員録. 明治30年(乙)』内閣官報局、1897年。
  • 『職員録. 明治32年(乙)』印刷局、1899年4月29日。
  • 『職員録. 明治33年(乙)』印刷局、1900年。
  • 『職員録. 明治34年(乙)』印刷局、1901年7月20日。

関連項目



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