天谷丑之助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 天谷丑之助の意味・解説 

天谷丑之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 10:19 UTC 版)

天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年明治21年〉2月18日[1] - 1974年昭和49年〉7月15日[2])は、日本政治家茨城県土浦市長(3期)。

来歴

茨城県出身。旧制土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校)を経て、1909年早稲田大学商学部を卒業する[1]1919年茨城県会議員となり、その後、議長となる[1]。この間、1927年から真鍋町長も務めた[3]1936年第19回衆議院議員総選挙では原脩次郎の後継者として茨城3区から立憲民政党公認で立候補したが落選した[4]

戦後の1947年、土浦市長選挙に立候補して当選した[5]。4年後の1951年の市長選挙では茨城県監査委員天谷虎之助に敗れた[6]。更にその4年後の1955年の市長選挙でも現職の虎之助に挑んだが、落選した[7]1959年の市長選挙で虎之助を破って、市長に復帰した[8]1963年の選挙でも再選。1967年まで市長を務めた。

脚注

  1. ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、508頁。
  2. ^ 『土浦市史』1147頁。
  3. ^ 『土浦市史』923頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』106頁。
  5. ^ 『土浦市史』922頁。
  6. ^ 『いはらき』1951年4月25日1面。
  7. ^ 『いはらき』1955年5月1日1面。
  8. ^ 『いはらき』1959年5月1日1面。

参考文献

  • 『土浦市史』土浦市史編さん委員会、1975年
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  天谷丑之助のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天谷丑之助」の関連用語

天谷丑之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天谷丑之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天谷丑之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS