天皇制に対する毛沢東の言葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:35 UTC 版)
「毛沢東」の記事における「天皇制に対する毛沢東の言葉」の解説
戦争末期の1945年5月28日に日本共産党の代表だった野坂参三の演説原稿を読み、以下のような書簡を送っている。野坂は「人民大多数が天皇の存続を熱烈に要求するならば、これに対して我々は譲歩しなければならぬ。天皇制の問題は、戦後儘速(迅速)に人民投票によって決定される」という投票による天皇制容認の草稿を用意していたが、毛沢東はそれに対して「『儘速』の二文字は削除できると思われます」「私は日本人民が天皇を不要にすることは、おそらく短期の内に出来るものではないと推測しています」とさらに慎重な態度を取っている。なお毛沢東が戦後日本の天皇制を批判したことは無く、戦犯問題についても野坂が広範なファシスト分子摘発を訴えたことに毛沢東は反対し、特高警察や思想警察でさえ「一部の積極分子のみ」に限定するのが良いと寛容な態度を取った。
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