天体望遠鏡事業の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 10:16 UTC 版)
「ミザールテック」の記事における「天体望遠鏡事業の拡大」の解説
1960年代に入ると、池谷薫(当時19歳)による彗星発見やアポロ計画の進展などが続き、天体望遠鏡業界に追い風となる出来事が相次いだ。その結果、生沼好三の予想通り国内の望遠鏡生産額は右肩上がりに規模を拡大し、1960年には約10億円に過ぎなかったのが1979年には約49億円になった。これは物価の上昇を考慮しても、2倍以上に成長したことになる。このような中で日野金属は、東京メガネやアイリスメガネ、ヤマト眼鏡院などといった眼鏡チェーンの店舗網を主な足掛かりとする販売戦略と、学生を筆頭に比較的若い世代をターゲットとした積極的な製品投入で順調に業績を拡大し、主業務も金属材料の卸から光学製品へと徐々に移行していった。
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