大阪相撲最後の本場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 04:55 UTC 版)
1937年の夏に大日本関西角力協会最後の本場所が開催され、同年12月に解散、有力者が斡旋人になったこともあって21名の力士が帰参した。これによって春秋園事件が終わりを告げ、協会に帰参しない力士は大阪・尼崎の実業団相撲へ加入、呼出しは大阪関目國技館の事務員に就職したほか、旗上げ時に贈られた200坪の相撲場は売却されて借金の返済に充てられ、残金は全員に分配された。 計画が失敗に終わった天竜は、共に廃業する力士と上京して出羽海へ挨拶した後、責任を取る形で廃業した。天竜の他にも11名が廃業している(17名が協会復帰)。1941年に相撲協会に復帰し顧問に就任。
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