大谷瓦窯跡
名称: | 大谷瓦窯跡 |
ふりがな: | おおやかわらがきあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 埼玉県 |
市区町村: | 東松山市大谷 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1958.10.08(昭和33.10.08) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 大字大谷の地域にあり、丘陵の東面の傾斜地に営まれた登窯である。天井部は失われたが、焚口部・煙出し部をそなえており、総長約7.75メートル、幅中央部にて約1.10メートルのかなり大きい挾長の形式をなしている。窯の主体部の床面は13段よりなる階段をなし、各段の上縁部及び壁面には平瓦を固着させている。 この種の平瓦は窯の南側壁の上部又は焚口部の入口にも利用されており、この瓦窯の構築上の特色を示している。奈良時代後期の頃の瓦窯跡として重要である。 |
大谷瓦窯跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 14:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大谷瓦窯跡(おおやがようせき・おおやかわらがまあと)は、埼玉県東松山市大谷にある窯跡。国の史跡に指定されている(1958年10月8日指定)。
概要
比企丘陵の東南斜面に築かれた瓦専門の窯跡である。50メートルほどの間隔をおいて1号窯と2号窯があったが、2号窯は保存状態が悪く、1号窯のみが1958年に史跡に指定された[1]。
半地下式有段窖窯(あながま)で、全長は7.6メートル、幅最大1.1メートル、傾斜角は30度である。焼成室は13の段を造っている。焚口は両側に瓦を立てて補強し、壁面は粘土や粘板岩片にスサを混ぜたもので堅牢に固めている[1]。
出土する軒丸瓦は素縁十葉単弁蓮華文で、中房には7つの蓮子をあらわす。瓦の年代から7世紀後半の窯とみられるが、この窯で生産した瓦がどこの寺院に供給されたかは未詳である[1]。
脚注
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