大蔵省内での対応・反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:07 UTC 版)
「昭和三大馬鹿査定」の記事における「大蔵省内での対応・反応」の解説
小粥正巳官房長(当時)は、田谷主計官を自室に呼んで「場所柄をわきまえず思慮が足らなかった」とひとしきり説教した。その後、「そこで聞いていろ」と田谷を脇に置き、自民党の幹部に電話を入れて謝罪した。 一方、田谷は後日のインタビューで、「バカ査定のような話はわが省のいいところで、皆私を庇おうとしてくれた。むしろ、ああいうときは庇わなかった人の方が非難される。組織として庇わないと、組織としての評判が落ちるから一枚岩になって守ってくれた。私も初めての経験で心配したが、省内の大半は『言い方が悪かったな』程度の反応で済み、向こう傷にはならなかった」と語り、この発言を大蔵省内では全面的に擁護してくれたと受け止めていた。 事実、田谷はその後、主計官の中でも最重要とされていた公共事業担当を経て主計局総務課長に昇進しており、発言は田谷の大蔵省におけるキャリアに何ら傷を与えなかったことがわかる。ただし、田谷は1995年に接待汚職によって退官を余儀なくされた。
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