大江川の利用と伊勢湾台風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 05:33 UTC 版)
「大江川 (名古屋市)」の記事における「大江川の利用と伊勢湾台風」の解説
周辺の干拓によって新田が形成されたため入江が西に延びていき、現在の大江川が形成された。新田が開発された頃の大江川両岸には田畑が広がっており、大江川が農業用水として利用されていた。かつては船(艀)の航行や船溜場としても重要な役割をはたしており、昭和初期には開削・拡張して大規模な運河にする計画があった。また戦後に貯木場で収容しきれなかった輸入木材(主としてラワン材)は大江川で貯木されていた。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では、高潮が大江川左岸を破堤して侵入したことで、名南橋や名鉄常滑線鉄橋付近で大江川の堤防が1400 mにわたり決壊し大災害をもたらした。これにより多くの死者が出たほか、名鉄常滑線の鉄橋が分断された。伊勢湾台風の影響により、6億2100万円の工費が投じられて大江川の防潮工事が成され、また大江川の埋め立てを求める声が一段と高まった。時代が進むにつれ公共下水道の整備や山崎川・天白川への分流排水が行われるようになったため、大江川の流量は著しく減少した。
※この「大江川の利用と伊勢湾台風」の解説は、「大江川 (名古屋市)」の解説の一部です。
「大江川の利用と伊勢湾台風」を含む「大江川 (名古屋市)」の記事については、「大江川 (名古屋市)」の概要を参照ください。
- 大江川の利用と伊勢湾台風のページへのリンク