大橋図書館問題と晩年
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1950年(昭和25年)5月4日、娘のまさが博文館新社を設立し、博友社への譲渡対象となっていなかった『博文館日記』の発行を再開する。同年10月13日、進一の公職追放が解除される。 これより前の1949年9月、進一は、父・新太郎が設立した私立図書館・大橋図書館の、麹町区九段(現在の千代田区九段南)にあった館舎を日本銀行に売却し、新宿区若宮町の私邸に移転させた。ところが、1950年12月15日付『読売新聞』が、旧館舎売却費5600万円を進一が無断で持ち出した、という疑惑を報道する。さらに、この事件がきっかけとなって財団法人大橋図書館の杜撰な経営実態が明らかとなり、同法人は東京都教育庁から自発的解散を勧告され、図書館は1953年に西武鉄道に売却された。持ち出しについては刑事事件とはならなかったが、これ以後、進一は公的な面から姿を消す。 1959年(昭和34年)11月29日、死去。
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