大曲信用金庫、能代信用金庫を合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 05:25 UTC 版)
「秋田ふれあい信用金庫」の記事における「大曲信用金庫、能代信用金庫を合併」の解説
前身である大曲信用金庫は1997年3月24日、経営の行き詰った能代信用金庫を救済合併している。 能代信金は当時能代市周辺に5店舗を有し営業を展開するも、地場産業である木材関連業者が円高による輸入木材との競合激化から業況が悪化。融資が不良債権化していたことや、1983年5月に発生した日本海中部地震のため不良債権が増加するなど経営は苦境に陥っていた。 そこで、大蔵省や日本銀行は、能代信金の預金、店舗を秋田銀行に譲渡した上で、預金保険機構と全国信用金庫連合会(全信連)が合わせて80億円強の資金贈与をおこない、不良債権処理を実施。最終的には同信金を清算するとの報道が1995年5月2日一部マスコミにおいて報道されるや、同信金は一時的に信用不安に陥り、この5月2日だけで総預金の10%、27億円もが流出する騒ぎとなった。 その後、能代信金、金融当局ともこの報道を否定したため取り付け騒ぎは鎮静化し、同信金は全信連からの援助により単独での生き残り目指すも、やはり自力での再建は困難であったため地方銀行等との合併を模索するも、信金界から業界内で処理すべきだとの声が上がり、大曲信用金庫との合併が浮上。そこで能代信金が抱える不良債権を全信連からの資金贈与で穴埋めした上で合併にのぞむことになり、1997年3月24日両信金は、秋田ふれあい信用金庫として新発足した 。
※この「大曲信用金庫、能代信用金庫を合併」の解説は、「秋田ふれあい信用金庫」の解説の一部です。
「大曲信用金庫、能代信用金庫を合併」を含む「秋田ふれあい信用金庫」の記事については、「秋田ふれあい信用金庫」の概要を参照ください。
- 大曲信用金庫、能代信用金庫を合併のページへのリンク