大名生駒家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 03:33 UTC 版)
大名としての生駒家は織田信長、豊臣秀吉に仕えた生駒親正にはじまる。四国平定後、親正は讃岐国17万1800石を与えられ、三中老に任じられて豊臣政権に参与した。関ヶ原の戦いでは親正は西軍に与したが、嫡男一正が東軍に参じて戦ったため本領安堵され、親正は一正に家督を譲り隠居、一正の跡は子の正俊が襲封した。正俊は伊勢津藩主藤堂高虎の娘を正室とした。高虎は豊臣系の外様大名だったが、秀吉の死後は徳川家康への忠勤に励み江戸幕府の信頼が厚かった。
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