大井卜新とは? わかりやすく解説

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大井卜新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 10:21 UTC 版)

大井卜信

大井 卜新(おおい ぼくしん、天保5年3月10日1834年4月18日) - 大正13年(1924年5月11日)は、江戸時代医師明治大正期の薬剤師、実業家、政治家。

略歴

和歌山県平民・大井源四郎の長男として紀伊国牟婁郡西山郷平谷村(三重県南牟婁郡西山村紀和町を経て現熊野市紀和町平谷)に生まれ、1845年(弘化元年)から1848年(嘉永元年)まで、菊岡隆之助に漢学を学び、その後京都に出て医学を修め、さらに1855年(安政元年)から長崎オランダ人ポンペボードウィンのもとで蘭学と医学を学んで蘭方医となる[1][2]

長崎に9年いたのち、1861年(文久3年)飫肥藩で1年洋医学を教え、1865年(慶応元年)に大阪で開業[1][2]、1867年(慶応3年)には大坂歩兵屯営付き軍医として伏見の役に出陣[1]。この縁で和歌山藩士に列せられ、同時に大阪府仮病院(現・大阪大学医学部附属病院)医師となる[1][2]

明治維新後は大学得業生、文部省助教を経て薬剤師となり、1876年に大阪で薬局開業[1][2]。その後大阪府会議員などを経て、1904年に衆議院議員に当選(三重県郡部5、立憲政友会)。このほか、中外生命保険会社設立、硫酸肥料、伊和鉄道、大阪電灯などの重役、大阪商業会議所副会頭も務めた。1909年には渋沢栄一率いるアメリカ実業界視察旅行「渡米実業団」に参加した。

人物

  • 大井憲太郎は義弟[1]
  • 花街の赤坂田町5丁目に住んでいたが、節約のため、自宅に美人の女中を雇い、振袖を着せていた[3]
  • 91歳没という長寿を誇り、薄田泣菫は著書の中で「卜新老は人も知ってる通り若い妾を可愛がるので名高い人だ」と記した[4]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 亀谷伴吉『成功亀鑑』1907年、70-71頁https://dl.ndl.go.jp/pid/778188/1/89 
  2. ^ a b c d 故大井卜新君『会員追悼録』p72, 日本工業倶楽部、1925。
  3. ^ 『風流議会 : 政客艶話』紅夢楼著 (磯部甲陽堂, 1914)
  4. ^ 大井卜新『茶話』薄田泣菫、青空文庫

参考文献

外部リンク




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