埼玉説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 16:08 UTC 版)
「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」の記事における「埼玉説」の解説
埼玉説の根拠としては、 葛飾御厨には、嶋俣(しままた)・今井・東一江(ひがしいちのえ)・・・という地名が登場し、嶋俣(現在は地名喪失)に隣接して今井があった。この嶋俣は柴又とは約7km離れており、この嶋俣が後世柴又になったとは考えられない。この嶋俣は戸籍の嶋俣里とは全く別の地域である。 下高野村(埼玉県杉戸町)の永福寺龍燈山伝燈記に戸籍の仲村里の里正孔王部堅の伝承がある。 杉戸町大字杉戸にある杉戸集会所の敷地内には香取神社が鎮座し、孔王部一族の氏神の伝承を持っている。 『義経記』巻二に「下総国高野の領主は陵兵衛(みささぎのひょうえい)と申し候」と登場する高野村豪族陵兵衛は、孔王部の末裔であって、陵戸を支配管理したと考えられる。
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