執念の父、独自の修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:14 UTC 版)
権三郎は12歳で諏訪藩の家老千野貞亮(兵庫)宅に仕えた。 権三郎の父、今右衛門はかつて天明の大飢饉の頃、窮状した村を法力で救うべく、講を開くため、甲斐駒ヶ岳開山をめざし12年の長きに渡り登頂を試みたが願いかなわず断念していた。幼い我が子に非凡な才を見いだし、(千野氏の若殿に、庭前の梅の木にさえずっている鶯を、枝を折りながら取り来たりて、御覧に入れたと云う伝説有り。)開山の願いを託す。幼少期から、父今右ヱ門の考案した修行を課せられたれていた。父による独自の訓練(修行)は苛酷を極めた。走る、岩を攀じ登る、断食をする、水を断つ、眠らせない、その他、権三郎はその都度泣き叫んで嫌がったが、今右衛門は呵責なく鍛えた。つまり、権三郎の幼年は、甲斐駒ケ岳開山の悲願だけに、常住坐臥一切がしばられていたわけである。
※この「執念の父、独自の修行」の解説は、「小尾権三郎」の解説の一部です。
「執念の父、独自の修行」を含む「小尾権三郎」の記事については、「小尾権三郎」の概要を参照ください。
- 執念の父、独自の修行のページへのリンク