城壁建設の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 02:09 UTC 版)
ハンブルクで13世紀に建設された市壁は、早くも15世紀の終わり頃(1475年以降)から部分的に防衛施設(de:Wall)で補強された。16世紀の終わりには、市街の全体が複数の円形砲塁(de:Rondell)を備えた、いわゆる「新しい城壁(Neuer Wall、現在のハンブルク旧市街(de:Hamburg-Altstadt)西部、ノイアー・ヴァル(de:Neuer Wall)通りは地名にこの経過を残している。)」に囲まれる。しかし、これらの防衛施設は建設の時点で旧式化しており、成長に勤しむ町の発展を制限してしまった(→古い城壁の図)。 当時、隣接していたデンマーク王国とハンブルクは潜在的な抗争状態にあり、堅固な防衛施設が必要であった。1616年、デンマーク王クリスチャン4世は軍港都市グリュックシュタット(Glückstadt)を建築させ、エルベ川の舟航を管理しようとした。これに対し、ハンブルク市民はネーデルラントの要塞建築家、ヨハン・ファン・ファルケンブルフ(de:Johan van Valckenburgh)に新たな防衛施設の建設を依頼した。
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