地方騎手から中央競馬へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:40 UTC 版)
「橋口弘次郎」の記事における「地方騎手から中央競馬へ」の解説
当時23歳で中央競馬の騎手養成所には入れなかったことから、公営・佐賀競馬場で騎手見習いとなる。1年の下積みを経て騎手としてデビューしたが、減量に苦しんだうえ、調教で怪我も負い、1年ほどで騎手を断念。1971年3月より兄が厩務員を務めていた中央競馬へ移り、吉永猛厩舎の一員となった。なお、騎手としての腕は「いちばん下手」「左手でステッキも持てないぐらい」だったというが、「16くらい」の勝利も挙げたという。 吉永厩舎に移り半年後には調教助手資格を取得。厩務員兼調教助手として、金杯(西)の優勝馬ハクサンホマレを担当している。ハクサンホマレは重賞戦線で堅実に入着を続けつつ6(旧齢7)歳まで走り、後に橋口は調教師になるに当たり「ああいう頑丈な馬を育てたい」と考えたという。1977年には、関東へ所属を移した弟の満朗の代わりとして松井麻之助厩舎へ移籍。1980年、通算5度目の受験で調教師試験に合格した。開業を待つ間の1981年にフランスへ研修に赴き、シャンティー調教場のウッドチップコースで騎乗した際、路盤のクッションの良さに感銘を受けたという。
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