地名としての安堂寺橋通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 13:54 UTC 版)
安堂寺橋通(あんどうじばしどおり)は、かつて大阪市南区(現:中央区)に存在した旧町名。現在の中央区南船場の一部にあたる。東横堀川以東の現在の中央区安堂寺町とは異なる。 明治時代の初頭には、大坂三郷南組の安堂寺町1丁目 - 5丁目(2丁目は上半・下半に分れる)・北勘四郎町であった。明治2年の大坂三郷再編により南大組が発足。当地は同年6月2日に東大組、明治3年9月に南大組に属した。明治5年3月17日、安堂寺町1丁目 - 5丁目・北勘四郎町を安堂寺橋通1丁目 - 4丁目となる。 明治8年4月30日、大区小区制施行により、南大組が第2大区となる。明治12年2月10日、-郡区町村編制法施行により、第2大区が南区となる。これにより同日から南区安堂寺橋通1丁目 - 4丁目となる。明治22年4月1日、市制施行により大阪市南区に編入され、大阪市南区安堂寺橋通1丁目 - 4丁目となる。 第二次世界大戦終戦後、1982年(昭和57年)2月1日の住居表示実施により、安堂寺橋通1丁目 - 4丁目は、南船場1丁目 - 4丁目の各一部となり、歴史ある安堂寺橋通の町名は消滅した。 1989年(平成元年)2月13日には、南区と東区の合区により中央区が発足した。 「南船場#歴史」および「南区 (大阪市)#歴史」も参照
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