土佐、薩摩藩御庭番との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:58 UTC 版)
「吉田虎一」の記事における「土佐、薩摩藩御庭番との交流」の解説
宇和島藩御庭番頭吉田虎一は薩摩藩御庭番西郷隆盛と盟友であっただけでなく、土佐藩の「御庭番」「一水亭御出入方」と称す該藩諜報機関の首級である坂本龍馬とも交流があった。資料にも「文久元年土州藩の坂本龍馬は坂谷屋梅太郎と変名、宇和島城下に入り町会所の二階に止宿して宇和島藩の御庭番と剣術の手合行ふ等画策」と残っている。吉田虎一、児島惟謙らと長崎へ船旅、途中海賊に襲撃されるが、宇和島藩最強の剣の使い手である御庭番、武技に精通しており切り抜ける。1867年(慶応3年)4月同志二宮又兵衛と長崎に赴く、着くと先ず坂本龍馬、五代才助等、「商社」に軍艦及び鉄砲の買入の事について斡旋方法を依頼、三ヶ月上海へ渡り英人と3万$を以って蒸気船一隻購入の契約を結ぶなどその行動は評価される。
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