土の上を利根は流るる蛇は渡る
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評 言 |
岸田劉生に「切通之写生」という作品がある。そこには土が描かれている。その岸田劉生が認めた画家、中川一政の習作に、ごく普通の田舎の風景を描いた絵がある。真鶴半島にある「中川一政美術館」でその絵を観たのだが、ここにも土が描かれている。岸田の作品のような誇張はない。ただ横たわっている土だ。不思議だった、幾度も観た。岸田の土を中川は意識しており、そしてこれが中川の回答だったのではないかと想像する。 色川武大は『私の旧約聖書』で東京大空襲後に凝視した地面のことを書いている。「家の中で、畳の上に寝ているように思ってきたけども、つまり、本質的には、泥の上に寝ているということなんだな」、「-あ、これが、もとっこなんだな」。色川が凝視した地面(土)は根源的なものでありながら、生々しいイメージを与えている。「もの」はいつも私たちにこういう姿を見せはしない。一瞬のうちに色川の目から消失しただろう。 掲句にも中川が描き色川が見た「土」を感じる、根源、そう、流れる利根川もそこを渡る蛇も、そして私たちの生き死にも、この「土」の上でのことなのである。 私は「蛇は渡る」の俳味を十分に味わった。重いテーマにもかかわらず深刻さに陥っていないのは、その民謡調のリズムが基底にあるからだろう。五、七、五の句体の切れのところで「はあ~」とか「あいや~」とか合いの手を入れたくなるのだ。 |
評 者 |
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備 考 |
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