国立移管と霞校地への移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 03:54 UTC 版)
「広島医科大学」の記事における「国立移管と霞校地への移転」の解説
1953年(昭和28年)には広大への移管が決定されたがその際の条件として広島市への校地移転が提示され、十分な同意を取りつけていなかった呉市との間に混乱が起こった。このため、1956年(昭和31年)広大医学部は呉市に対し同市広町に附属病院を残すことを条件に移転の承認を得た。その間、広島医科大学は霞町(南区)の広島県庁舎跡地(戦前の陸軍兵器支廠)に設置された広島大学医学部キャンパスに1957年(昭和32年)までに移転(1957年2月に医学部事務部および基礎医学教室の移転完了→同年9月に臨床医学教室および医学部附属病院を移転)、最後まで残っていた呉分院も1962年(昭和37年)に廃止されたため呉市内の旧校地はすべて廃止となった。1990年(平成2年)5月には呉市広警察署構内に「医学部発祥の地碑」が建立されている(見学は要許可)。
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