図子(辻子)と路地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 17:23 UTC 版)
「京都市内の通り」の記事における「図子(辻子)と路地」の解説
地割の内部にアクセスするため、路地(ろーじ)が作られる。多くは袋小路で、表の通りから路地への入り口には、門が設けられたり住民の表札が掲げられたりすることがよくある。表の家屋の二階が上を覆っている場合もある。 このように、京都における路地はきわめて内部的なもので、部外者の通行が自由である通りとは画然とした区別がある。道幅は人の擦れ違いが出来ないようなものから、軽自動車が行き違えるようなものまで様々である。 先斗町通と木屋町通を繋ぐビルの通路は、建物が現代化されても生き残っている路地といえよう。 袋小路の路地の突き当たりを貫通させ、通路として開放したものを図子(ずし、辻子とも表記する)と呼ぶ。路地と異なり、一般の通り抜けが認められている。 図子には「革堂図子」や「紋屋図子」など、名前がつけられているものがある。中心部の町名に「図子」や「突抜」とあるものは図子に由来する。 背中合わせの路地を繋いで図子とした経緯を物語るものもある。中ほどで直角にあるいは鍵の手に折れ、その前後で道幅が違っている。京都の「通り」の直線的で遠くを見通せる形とは違う姿が図子には見える。 道幅が狭い通りを単純に路地と呼ぶのではないことに注意が必要である。 特に図子の集中する地域として、上京区の一条通以北が挙げられる。この地域はもともと平安京の範囲外だったが、市街地の拡大により南北方向の通りが北に延長され、これらを東西方向に連絡するための図子が作られた。
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