囚人たちによって開削されたその他の道路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 10:08 UTC 版)
「囚人道路」の記事における「囚人たちによって開削されたその他の道路」の解説
囚人労働の投入によって北海道のインフラ整備事業として、初代北海道庁長官の岩村が必要と指摘した七つの幹線道路は、すべて着手された。その幹線道路とは、第一に石狩道路(市来知 - 忠別太)、第二に天塩道路(月形 - 増毛)、第三に北見道路(忠別太 - 網走)、第四に網走 - 硫黄山間、第五に標茶 - 釧路間、第六に標茶 - 厚岸間、第七に大津 - 伏古間である。文献や史料などによれば、中央道路に含まれる石狩道路(上川道路)・北見道路のほかにも、以下に挙げる区間の道路が囚人労働によって開削された道路としている。 樺戸(月形)- 市来知間道路(樺戸道路・樺戸街道・峰延道路) 月形 - 増毛間道路(天塩道路) 網走 - 標茶(熊牛)間道路 標茶(熊牛)- 厚岸間道路 標茶(熊牛)- 釧路間道路 硫黄山 - 網走間道路 大津 - 伏古(下帯広)間道路(大津街道)明治25年に十勝川河口付近の大津から十勝川沿いに帯広へ進み、新得まで結ぶ計画築造された道路で、大津 - 豊頃間が現在の北海道道320号・911号、豊頃 - 伏古(現:帯広市)間は国道38号にあたる道筋である。通称は大津街道であるが、正式名称は県道南北線といった。 月形 - 厚田 - 小樽間道路 月形 - 当別間道路 市来知 - 岩見沢間道路
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