嘉納治郎右衛門_(九代目)とは? わかりやすく解説

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嘉納治郎右衛門 (九代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/27 09:36 UTC 版)

九代目嘉納治郎右衛門(きゅうだいめかのうじろうえもん、1898年明治31年)7月5日 - 1972年昭和47年)3月10日[1][2]は、日本の実業家嘉納財閥・本嘉納家9代目当主[2]菊正宗酒造元会長[2]灘育英会元理事[2]従七位勲六等[2]

経歴

岡山県出身[2]神戸市東灘区在住[2]貴族院議員や山陽銀行(現:中国銀行)頭取を務めた土居通博の次男に生まれる[2][3]

1919年大正8年)に八代目嘉納治郎右衛門(本嘉納家8代目当主)の養子となり、本嘉納商店取締役に就任[2]。1923年(大正12年)関西学院高等商業学部を卒業[2][3]1935年(昭和10年)3月に、8代目死去と同時に前名・文治を改め治郎右衛門を襲名し、社長に就任[2][3][4]。以来、25年の長い間社長の重責を務め、1960年(昭和35年)会長[2][3]。その他、灘商業銀行や富士生命保険の役員も歴任した[1]

灘育英会、甲南高等女学校、神戸女子薬科大学(現:神戸薬科大学)の理事となり、育英事業に貢献するとともに、日本酒造組合中央会理事などの公職にあったが、戦後、公職追放令により辞任した[3]

1951年(昭和26年)追放が解除されると、1952年(昭和27年)私財を投じて財団法人秋香報恩会を設立[3]

1960年(昭和35年)菊正宗酒造記念館を建設、重要文化財民俗資料の指定を受けた[1]

1935年(昭和10年)紺綬褒章、1962年(昭和37年)藍綬褒章を受賞[2]

人物

趣味は[2]。宗教は浄土真宗[2]

家族・親戚

脚注

  1. ^ a b c 日本人名大辞典+Plus,367日誕生日大事典, 20世紀日本人名事典,デジタル版. “嘉納治郎右衛門(カノウ ジロウエモン)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年1月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、か-59頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3044853/1/697 
  3. ^ a b c d e f 財界家系譜大観 第1版』現代名士家系譜刊行会
    常盤書院、1971年、260頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12214796/1/170
     
  4. ^ 創業三六〇周年 視界三六〇度 菊、パッと咲け|菊正宗”. www.kikumasamune.co.jp. 2025年1月25日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 『財界家系譜大観 第1版』現代名士家系譜刊行会、1971年。



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