喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区
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喜多方市小田付 | |
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小原酒造
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重要伝統的建造物群保存地区 | |
基本情報 | |
所在地 | 福島県喜多方市 |
種別 | 在郷町・醸造町[1] |
選定年月日 | 2018年(平成30年)8月17日[1] |
選定基準 | 2[1] |
面積 | 15.5 ha[1] |
座標 | 北緯37度39分14秒 東経139度52分50秒 / 北緯37.6539度 東経139.8806度座標: 北緯37度39分14秒 東経139度52分50秒 / 北緯37.6539度 東経139.8806度 |
喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区(きたかたしおたづきでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)は福島県喜多方市にある伝統的建造物群保存地区。国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
概要
市街地から農村部まで4,200の蔵が残り、「蔵のまち」と言われる喜多方市であるが、その市街地は、田付川を挟んだ西側の小荒井、東側の小田付という2つの在郷町を中心として発展した[2]。両地区とも多くの蔵が残り[3]、このうち東側の小田付が2018年(平成30年)3月に市の伝統的建造物群保存地区となり、同年8月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された[4]。
歴史
高度成長期、モータリゼーションにより市内の蔵が取り壊されようとする中、蔵の写真を撮り続けていた地元写真家・金田実が1972年(昭和47年)に写真展を開催[5]。これをきっかけに、1975年(昭和50年)にNHKが『新日本紀行』で、蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」を放送したことで、蔵のまち・喜多方が全国に知られるようになった[5]。その後1979年(昭和54年)から1981年(昭和56年)にかけて、市内で蔵が密集する下記5地区のうちC.を除く4地区で伝統的建造物群保存地区調査が行われた[6][7]。
- A. 中央通り(旧小荒井村の中心部)[6]
- B. 南町通り(旧小田付村の中心部)[6]
- C. 松山町(店蔵を中心に散在)[6]
- D. 岩月町杉山(農家の座敷蔵が両側に並び建つ)[6]
- E. 岩月町三津谷(明治末期の煉瓦造納屋蔵・座敷蔵が目立つ)[6]
1995年(平成7年)に蔵主有志による「蔵の会」、2003年(平成15年)にまちづくり団体の「会津北方小田付郷町衆会」がそれぞれ結成され、2001年(平成13年)から調査を行っている東京大学都市デザイン研究室とともに数多くのまちづくり活動が行われるようになった[5]。
重伝建選定以降の小田付では、若者による新店舗の創業も相次いでいる[8]。
近隣施設
祭り・イベント
- 小田付初市:毎年1月17日
交通アクセス
脚注
- ^ a b c d “令和4年度伝統的建造物群保存地区台帳:喜多方市小田付”. 全国伝統的建造物群保存地区協議会. 2025年6月22日閲覧。
- ^ 東京大学都市デザイン研究室「第1章 喜多方まちづくりの基礎」『喜多方まちづくりブック 地域資源を活かしたまちづくりの軌跡と展望』(レポート)喜多方蔵のまちづくり協議会、2008年5月 。
- ^ “喜多方蔵之地図”. 喜多方市観光課. 2025年6月22日閲覧。
- ^ 『喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区 修理・修景デザインガイド』(レポート)喜多方市、2023年3月 。
- ^ a b c 東京大学都市デザイン研究室「第3章 喜多方まちづくりの軌跡」『喜多方まちづくりブック 地域資源を活かしたまちづくりの軌跡と展望』(レポート)喜多方蔵のまちづくり協議会、2008年5月 。
- ^ a b c d e f 『喜多方の町並(商家):伝統的建造物群保存調査報告書』喜多方市教育委員会、1980年3月。doi:10.11501/12708857。
- ^ 『喜多方の町並 : 伝統的建造物群保存調査報告書 2(杉山と三津谷)』喜多方市教育委員会、1982年3月。doi:10.11501/12422038。
- ^ みんなでつくろう小田付 重伝建 標識プロジェクト報告書「おたづき探検」 Vol.3 (PDF) (Report). キタ美実行委員会. June 2022.
外部リンク
- 喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区 - 喜多方市
- 小田付プロジェクト - 小田付地域おこし協力隊
- 蔵 - 喜多方観光物産協会
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