喜久水という名称の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 23:37 UTC 版)
「喜久水酒造 (長野県)」の記事における「喜久水という名称の由来」の解説
1944年(昭和19年)に設立された下伊那酒造株式会社は、飯田市中心部の仲ノ町にあった村田屋酒造店の建物等を利用して本社事務所および壜詰工場とした。醸造蔵は株主である当地区の酒蔵を用い、各蔵の持ち味を生かした昔ながらの酒造りが行われた。中でも市内の愛宕町にあった加藤酒造店は規模が大きく、中心的役割を担った。ところで、村田屋酒造店は酒の銘柄として「喜久水」を用いていたが、下伊那酒造株式会社設立時に組合員の投票により「喜久水」を銘柄名に決定した。村田屋酒造店がつけた喜久水の名は、慶応元年飯田藩士が楠木正成公の湊川神社から分霊を授かって祀られた場所で、楠木正成の家紋である菊水から「多くの人に長く久しく喜びを」との願いを込めて名付けられた。1947年(昭和22年)の飯田大火により村田屋酒造店の蔵も焼け落ちたが、2016年(平成28年)の発掘調査で、「村田酒店」の筆書きがある預け徳利が発掘されている。
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