名高い羅紗緬とされる人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 07:25 UTC 版)
きち(斎藤きち) 安政4年(1857年)、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスに召し抱えられた伊豆国下田の芸者。同時に、通訳ヘンリー・ヒュースケンも同じ芸者の「ふじ」を召し抱えた。ハリスが依頼したのは「看護婦」だったがそのような概念を理解していなかった日本側が「妾」だと勘違いして芸者を派遣したという説と、幕府がハリスの江戸出府を引き止めさせるために芸者の手配を行ったという説がある。3か月で解雇されて以降は周囲の偏見から酒に溺れ、自殺した。 喜遊(亀遊) 港崎遊郭にあった岩亀楼の遊女。文久2年、外国人に妾にならないかと言い寄られ、「露をだに いとふ倭の 女郎花 ふるあめりかに 袖はぬらさじ」と辞世を残して自刃したという。尊王攘夷派の創作という説もある。
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