名興行師
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1934年(昭和9年)に吉本興業がニューヨークから60人以上からなるアメリカのレビュー団で無名時代のダニー・ケイもメンバーだったマーカス・ショーを招き、日本劇場での興行を成功させた。その際ショーのマネジャーや当局との交渉を一手に引き受け、中心となって活躍したことが、業界に林弘高という若きプロデューサーの存在を知らしめることになった。 榎本健一劇団の座付作者として知られた菊谷栄は、1936年(昭和11年)当時の浅草興行界の名プロデューサーとして、松竹合名の川口三郎、東京吉本の林弘高、新宿ムーランルージュの佐々木千里の3人を挙げている。特に林弘高については、梅沢昇・金井修・永田キングらをスターに育て、世に送り出した点を高く評価している。 戦後も力道山のプロレス興行を手掛けて成功している。
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