森田座式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 05:45 UTC 版)
今日一般に定式幕と呼ばれるものは、黒-柿色-萌葱の森田座の様式に倣うものが多い。これは歌舞伎座が使用する定式幕がこの森田座式を踏襲していることによる。明治のはじめに名興行師として知られた守田座改メ新富座の座元・十二代目守田勘彌は、一時期発足して間もない歌舞伎座に招かれてその諸事万端を司っていたが、歌舞伎座が建つ木挽町はかつて森田座がその中心となって栄えた芝居町だったことから、この歌舞伎座の定式幕に自らの森田座式をちゃっかりと転用した。以後年を重ねてもこれを怪しむ者が出てこなかったことから、これが歌舞伎座定式幕として定着し今日に至った。
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