名前の誤伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 18:06 UTC 版)
「十河存保」も参照 釣竿斎宗渭の俗名を三好政康とするのは『細川両家記』の誤謬が伝播したもので、「政康」という名は一次資料には一切見られず、確認できる俗名の諱は政勝と政生である。また、『三好別記』に出てくる「三好政康」は三好実休の次男で十河氏を継いだ人物、すなわち十河存保であり、『十河物語』の「三好政泰」も十河存保のことである。なお、一次資料で確認できる十河存保の最初の諱は「存康」で、これらは全て「まさやす」と読む。 「三好為三」も参照 「右衛門大輔政勝(または右衛門大夫政勝)」と「下野守政生」は長らく別人と思われていたが、同時期の活動はなく、『大仙院文書』などの書状で政勝と政生の花押が一致するため、近年[いつ?]では政勝から政生へと改名したと考えられている[誰によって?]。多くの軍記物や系図などでは、宗渭が「政康」で三好為三が「政勝」という前提で書かれているが、三好為三の俗名を政勝とするのは混同による誤伝と考えられ、為三の実名は不明である。
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