同盟協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「同盟協定」の解説
1788年4月15日、その協定はデン・ハーグで調印された。攻撃を受けた際、両国は相互の軍事支援を約束したのである。プロイセンは、相手国の独立を保障した。同日、イギリスもネーデルラントとさらなる支援協定を結んだ。1788年4月19日にはプロイセン、イギリス、スターテン・ヘネラールとホラント州の各代表が追加の同盟に調印する。そこでフランス王国は共通の敵として名指しされ、プロイセンの軍事行動と部隊の駐屯のため支払われるべき金額が見積もられた。同様に、今や再建された保守的な統治体系を締約国が保護すると決まった。第一条は、プロイセンにこの同盟への兵員66,000名の提供を義務付け、その運用は三カ国の軍事委員会が決定することになった。またプロイセンは有事において、イギリスとネーデルラントの部隊の支援を受けられるとした。第三条はプロイセンへの支払額を規定している。イギリスとネーデルラントは、それぞれ月に50,000ポンドを支払うことになった。また各兵員の給養のため、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は第五条に従い一か月に1ポンド12シリングを各同盟国から受け取った。これによって国王は指揮下にある全軍の給養費の1/3を賄えた。プロイセン政府は同盟の網をロシア帝国、スウェーデンやデンマークにまで拡大しようと計画していた。このように強大な同盟国とともに、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はヨーロッパの平和を継続的に確保できると考えていた。しかしその希望は、わずか数年後には幻想であったことが明らかとなる。
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