同潤会代官山アパート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 22:02 UTC 版)
「代官山アドレス」の記事における「同潤会代官山アパート」の解説
再開発前に存在した代官山アパートは、1923年(大正12年)に発生した関東大震災の救済機関として設立された財団、同潤会によって東京・横浜地区の16ヶ所に建設された「同潤会アパート」のひとつであった。敷地面積は5,976坪で、25%という建蔽率から豊富な緑を持ち、敷地の起伏を生かした傾斜地に2階建てと3階建ての鉄筋コンクリート造りのアパート、公衆浴場、食堂などが配置されていた。 代官山アパートは大正14年、関東大震災によって大破した青山女学院の跡地に着工され、昭和2年~3年にかけて36棟の建物が竣工した。 各アパートはモダニズム建築を意識した2-3階建ての近代的集合住宅で、全36棟に337戸が設けられ、間取りの中心は2Kであった。震災の教訓から鉄筋コンクリート造が採用され、娯楽室、食堂、水洗トイレ、ダストシュートのほか、自家水道施設や児童公園、公衆浴場なども備えられていた。 建設時には最先端の仕様であった各住宅であったが、平均の占有面積は10坪程度、更には「6畳一間、トイレ共同」という住戸もあったことから、戦後には、「狭くて住みにくい」という評価が一般的となった。 昭和28年になるとアパートは住民らに払い下げられ、その後は各居住者による勝手な増改築が目立つようになったという。
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