同潤会解散後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:49 UTC 版)
1941年(昭和16年)、戦時体制下に住宅営団が発足すると、同潤会はこれに業務を引き継いで解散した。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による空襲で山の手方面が大きな被害を受けた際、街路樹が全焼した表参道では同潤会アパート前のケヤキだけが焼け残り、防火壁としての同潤会アパートの機能を実証した。 日本の敗戦後に住宅営団が解散すると、東京都内の同潤会アパートは東京都に引き継がれ、大部分は後に居住者に払下げられた。大塚女子アパートに限っては個人に払い下げると男性が住むようになる事を懸念した住民の要望を受け都営住宅として存続した。
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