同生同名御書
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『同生同名御書(どうしょうどうみょう ごしょ)』とは、鎌倉時代中期にあたる文永12年1月27日(ユリウス暦1275年2月24日)、日蓮上人が54歳の時、四条金吾こと四条頼基が佐渡島流罪中の日蓮を訪ねた際、日蓮から四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ、にちがんにょ)に与えられた書状(手紙)『四条金吾殿女房御返事』(『夫婦同心御書』)のことであり、その書には、同生同名という神が影の身に添うが如く須臾たりとも離れず、大罪も小罪も大功徳も小功徳も少しも書き漏らすことなく、諸天に申し上げるのであるから、という旨の教えが説かれており、そのうえで、夫を佐渡へ送り出した妻の信心を讃え、金吾夫妻の信心は必ず諸天善神が認めるであろうことを告げて激励している。
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