司法官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 09:33 UTC 版)
1871年権中解部任官、1875年一級判事補・同年判事。この頃ドイツ留学、1877年宮城上級裁判所判事、1879年福島地方裁判所判事、1881年岡山地方裁判所所長、1883年司法省、1884年東京控訴院、1887年~1894年富山始審裁判所・富山地方裁判所所長、1894年~1898年岡山地方裁判所所長、1898年大審院判事。 裁判官として下した小林藹の著名な判例は特になく、凶悪犯の死刑判決の記録が若干残る程度である。 富山への転所は、故郷に近い土地の勤務を希望したためと云われる。 朝敵であった越後長岡藩士出身でありながら、在朝法曹として異例の出世を遂げたと言えよう。
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