台湾からの引揚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:21 UTC 版)
詳細は「台湾からの引き揚げ」を参照 終戦時における在台湾日本人は、軍人が16万6000人あまりを含めて48万8000人あまりであった。国民党政権は「台湾官兵善後連絡部」を設け、安藤総督が部長、須田農商務局長が副部長に任命された。実際の業務は副部長があたった。引揚は軍人から始められ1946年2月に完了した。一般人については、日本国内における食糧難をはじめとする混乱を恐れたこと、台湾の生活になじんでいること、台湾人からの報復もなかったことから、約20万人が台湾にとどまることを希望した。しかし、国民党政権は、インフレ等の社会問題の発生もあり、大量の日本人が台湾に残留することを望まなかった。一般人の引揚は1946年4月20日に完了した。引揚者一人あたり現金1000円、途中の食糧、リュックサック2つ分の必需品の持ち出しのみ許された。台湾からの引揚者は46万人弱であった。国民党政権が必要だとして2万2000人弱の技術者や教師が「抑留者」として一時台湾に残された。
※この「台湾からの引揚」の解説は、「引揚者」の解説の一部です。
「台湾からの引揚」を含む「引揚者」の記事については、「引揚者」の概要を参照ください。
- 台湾からの引揚のページへのリンク