台場 (福岡藩)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 14:57 UTC 版)
台場[1]とは、防禦の目的をもって大砲[2]を据え付けるための構造物を指す。海岸や河岸の台地など、海防上枢要の地に置かれたものが多い[3]。初期の台場として長崎港入口の7つの台場(古台場)が知られるが、これらは承応3年(1654年)、江戸幕府からの命令で平戸藩により初めて築造されたものである[4][5]。その後200年の時を経、ペリーが浦賀に来航したことで幕府・諸藩の海防意識が高まり、攘夷思想の影響もあいまって日本各地で台場が築造されていった。
- ^ 当時、(石火矢)台場・砲台が混用されていたが、ここでは記述の統一を図り、「台場」とした。なお、薩英戦争時の記事では、fortとなっている。
- ^ 当時は一般に「石火矢」と呼称
- ^ 『新装版 日本城郭辞典』p.181
- ^ 『佐賀大学経済論集』第35巻第4号p.219
- ^ “日本財団図書館(電子図書館) 企画展「平戸藩主 松浦家と海展」解説書”. nippon.zaidan.info. 2020年9月27日閲覧。
- ^ a b 『新訂黒田家譜』第7巻上p.229
- ^ a b c d 『見聞略記』p.131
- ^ a b 『見聞略記』p.83
- ^ a b 『見聞略記』p.105
- ^ a b 『新訂黒田家譜』第7巻上p.283
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.63
- ^ a b 『見聞略記』pp.141-42
- ^ a b 『見聞略記』p.136
- ^ 『物語福岡藩史』p.338
- ^ a b c 『新訂黒田家譜』第7巻上p.306
- ^ 『新訂黒田家譜』第5巻p.319
- ^ 『見聞略記』p.163
- ^ a b 『見聞略記』p.190
- ^ 「福岡城之図」
- ^ 『物語福岡藩史』p.339。
- ^ 『江戸の炮術: 継承される武芸』p.216
- ^ a b 『見聞略記』p.198
- ^ 「福岡年代記」元治元年条、『福岡県史』第2巻上冊p.319
- ^ a b 『福岡県史』第2巻上冊p.319
- ^ 「福岡年代記」弘化4年条
- ^ 『新訂黒田家譜』第7巻上p.172
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.59
- ^ 『新修福岡市史』特別編 福岡城 築城から現代までp.158
- ^ 『新訂黒田家譜』第7巻上p.242
- ^ 「福岡年代記」安政2年条
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.65
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.66
- ^ 『見聞略記』p.134
- ^ 『見聞略記』p.139
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.63、
- ^ 「福岡年代記」文久3年条。原文は、「一、六月朔日若松浦中島砲台築立七日成就」であるが、「七日」を「七月」と読み誤った記事が散見される。前述のように中ノ島の台場は「仮台場」である。盛り土をして突き固め、周囲に土俵を積み上げて補強する程度の工事ならば7日程度で完成させることは可能である。
- ^ 『見聞略記』p.143
- ^ 『新訂黒田家譜』第7巻上p.306、『見聞略記』p.140
- ^ 『見聞略記』p.153
- ^ 『見聞略記』p.156
- ^ 『見聞略記』p.162
- ^ 『見聞略記』p.187
- ^ 『見聞略記』p.246
- ^ 「福岡年代記」元治元年条
- ^ 『新訂黒田家譜』第7巻上p.377
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.79、The London and China Telegraph. Vol.9, pp.234-35. [May 4, 1867].
- ^ 『新訂黒田家譜』第6巻上p.79
- 1 台場 (福岡藩)とは
- 2 台場 (福岡藩)の概要
- 3 台場築造後
- 4 参考文献
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